嫌な夢を見た

いやな夢から覚めて、ああ夢で良かったと明るい気持ちになることはほとんど無く、自分の深層心理で恐れているものを改めて気付かされて、心底うんざりすることの方が多い。

かといって心の中で長いこと望んでいるも決して叶わぬことがついぞ満たされる夢から覚めると、それはそれで始めこそ幸せな気持ちでいられるもののすぐに自分のしようもなさに情けなくなり、心を虚無感が覆うのである。

つまりは、夢なんてみるものじゃあないのである。日中死ぬほど働いて、働いて、夢見る余裕もなく疲れ果て、一日を終える方がいいのではないか。そんなことを考えてしまうのである。

アークヒルズカフェ

相変わらず行き続けている。もういい加減いつもと同じサラダとスープに飽きていて、メインも目新しく無いのだが、居心地が良いのでついつい来てしまう。
基本、みんな対応がいいが、その中でも一人若い兄ちゃんの対応が、特に素晴らしい。気分良く午後の仕事を始められる。

ラーメンと愛国

斎藤環の、世界が土曜の世の夢なら、でちょくちょく引用されてたので気になって購入。予想通り、なかなか面白かったので、以下備忘録。気になった箇所をつらつらと。

まず、ラーメンと言えば小麦。その小麦は戦後日本にどう入ってきたのか、について。乱暴に言っちゃうと(以下全部乱暴にまとめてしまうが)、アメリカの小麦戦略によるものp39。飽和状態の国内マーケットから、海外、特に日本に目を向けたのがきっかけ。

日本のアイデンティティであったはずの米食を簡単にほっぽり出してパン食に走った日本だが、近年また、gopanのヒットに見る米食回帰キャンペーンを打つなど、複雑な状況になっているのが面白い。

いきなり個人的な総括になってしまうが、この本を通じて感じたのは、まあ、とにかく、日本全体でブームとなっているもの、当たり前のように決まっているもの―――歴史的文化的背景があり、一見科学的根拠にも裏付けられている―――は、一度疑ってみた方がいい。

世の中、頭の良い人たちが巧妙に作成したシナリオに沿って我々みんな暮らしているんだな、と気付くかも。ま、過程はどうであれ、結果良かったってこともあるんだろうけど。

思い出しても、子供の頃のパン食はいまいちだった。週1の白ご飯の日が嬉しくて仕方なかった。こういうのが逐一、シナリオに沿って決められてたんだなー。

ちなみにシナリオ作成は、頭良い人だけの専売特許とは限らない。作務衣にバンダナして郷土料理を謳ってるのもシナリオだったんだなー。いや、著者同様、この文化そのものには否定派である必要は全くないんだけどね。なんというか、ちょっと冷めた目で見ていたいというか。、


一点もの至上主義

デミングの品質管理

国語、味覚の共同体と琉球そばp155

必要な施設がワンセット揃ったファスト風土化、と郷土ラーメンp166









ロッソエブランコ、ランチ

久しぶりの記事。
確かに最近色々と忙しくはあるが、ベッキーの記事を読んだりする時間はあるのだから、単に怠慢というほかない。

話を戻して、ここの料理は普通。オイルパスタは、まあ、普通にある味。近々に冷えたサラダも、ダメなレストランがよく出すごく普通のやつ。
しかしなんとなく説明の難しい、不潔感というか居心地の悪さは、多分店員の質による。挨拶ができない、配膳が雑、調理服がこ汚い等々、なんだかことごとく私には合わない。申し訳ない。もう来ないっす。1000円でした。

あるある

階段上ってて、躓いて転びそうなるも持ち直したとき、別に駆け上がる気なんてないのに必要以上のステップ数駆け上がってから、何事もなかったふりをしてまた歩き続ける。
ほぼ全員これをやるから注目してみるといい。